江戸時代に先行する戦国時代から、大規模な治水土木工事による新田開発が進められ、土の肥えた大河川流域に水田(新田稲作)地帯が形成されていきました。新田開発の進行は、同時に多くの新田村落を生みだし、戦国時代〜江戸時代を通じて、全国で数千から一万前後の村が成立しました。
農業社会であった当時、幕府や藩などの領主たちは、新田開発を行って耕地を広げ、そこに農民を配置していきました。つまり、新たな耕地からの収穫物により、年貢の増収をはかろうとしたわけです。その後、水田の開発が限界にくると、水に恵まれず土のやせた台地部分にも開発の手が伸ばされ、畑(新田畑作)地帯が作られていきました。 |

江戸時代後半の武蔵野
(武野原之全図 文化15
年「川越松山巡覧図誌」
所収、国立公文書管) |