川越いもの中の川越いも
川越いもが名声を得たのは、江戸時代に江戸で焼きいもが大流行したことがきっかけでしょうね。当時の江戸っ子に最も好まれたのが川越いもだったんですよ。栗(九里)に近いから「八里半」だとか、栗(九里)より(四里)うまいから「十三里」だなどと喜ばれたようです。
そんな「川越いもの中の川越いも」といえば、昔から「富(とめ)のいも」だったんですね。武蔵野台地の中でも上富(かみとめ)の辺りの土は特に軽く、いも作りに最適なんです。私どものサツマイモ資料館でも、もちろん富のいもを展示しています。
ところで、川越地方のサツマイモ畑も、昭和30年代から激減してるんです。サツマイモより利益の上がる作物はいくらでもありますからね。今では、三富(さんとめ)の中の上富(かみとめ)地区に辛うじて残っているだけと言っても過言ではないと思いますよ。でも、「富のいも」は江戸時代から評判の「名いも」です。私はこれを文化財とさえ考えていますし、また文化財として保護しなければならないほど価値あるものと思っています。「富のいも」、たとえ畑は少なくなっても、絶対に絶やさないことを、心から願っています。