サツマイモの昔むかし1

サツマイモの昔むかし1

甘藷先生、試作に成功(1735年)

関東地方でサツマイモが初めて作付されたのは、江戸時代。享保の改革で知られる八代将軍徳川吉宗のころのことです。
享保二○年(1735)、江戸の学問好きの一町人、青木昆陽がサツマイモは救荒作物として優れていることを幕府に進言しました。
まだまだ農業技術が発達していなかった江戸時代には、日照りなどの天候異変が続くと凶作に見舞われ、しばしば大飢饉となっていました。そんな状況の中で、荒地を好むサツマイモの作付が成功すれば多くの人々を救済できると考え、幕府ではこの進言をさっそく取り上げ、青木昆陽を薩摩芋御用掛に任命しました。そして、種芋はわざわざ九日間かけて薩摩国(鹿児島県)から取り寄せ、小石川御菜園(現在の小石川植物園)で試作させたのです。サツマイモは寒さに弱い作物。さらに、このころの植付方法は、現在のじゃがいものように、種芋をいくつかに切り分け直接畑に植える方法で、成功率は低かったようです。しかし、青木昆陽は見事一回で成功しました。
その後も青木昆陽は作付の研究と普及に努めました。そして、人々に「甘芋先生」と慕われ、大に感謝されたといいます。

サツマイモ昔むかし1~6については
発行/三芳町(広報みよしNO.484参照)