サツマイモの昔むかし2

サツマイモの昔むかし2

サツマイモ作り初めの事(1751年)

三芳付近でサツマイモの作付が開始されたのは、青木昆陽が小石川御菜園で試作に成功した、わずか一六年後のことでした。
上富地区や北永井地区の南燐の南永井(所沢市)の名主・吉田弥右衛門が試作に成功し、これが急速に付近の村々に広まったのです。
吉田家に残されている古文書、『覚書聞書覚帳』には、「サツマイモ作り初めの事」として、吉田家でサツマイモを作り初めたときのことが記されています。
それによると、「寛廷四年(1751)二月二八日江戸木挽町川内屋八郎兵衛殿世話にて、御公儀の許しを得て、上総国志い津村(千葉県市原市)の長十郎方へ弥左衛門を遣わして種芋二百個を二百文で買い求めた。この際の路銀など経費は一分二朱かかったが、試作に成功し隣郷に広めることができた」とあります。青木昆腸がサツマイモの試作に成功してからわずか十六年という短期間で、この地方にサツマイモがもたらされたのです。
吉田弥右衛門は、わざわざ御公儀の許可を得て、大金を使い、千葉まで出向いてまでして、何故サツマイモを手に入れたかったのでしょうか。それは彼が、飢饉対策の面、そして商品作物として優れているという面、さらには地域の農民の滋養という面にも大いに着目していたからに違いありません。それはまた地域の発展を考えた先見の明と言っても過言ではありません。

サツマイモ昔むかし1~6については
発行/三芳町(広報みよしNO.484参照)