サツマイモの昔むかし4

サツマイモの昔むかし4

将軍家の台所を独占(1831年)

「千葉の早出しいも。入間の囲いいも」という言葉があります。
この言葉が生まれた背景には、将軍家に納めるサツマイモの独占というねらいがあったようです。また、それを象徴する一つの事件がありました。
時は天保二年(1831)。当時、将軍家の台所への食糧の納入は青物役所が取り扱っていましたが、ここヘサツマイモを納めていたのは御用芋商人でした。彼らは、御用と称してサツマイモを安く特産地から買い、高利益をあげていたのです。これを不服として、千葉郡六か村と入間郡二四か村が、青物役所に嘆願しました。
その内容は、特産地から直接、青物役所に納められるよう願うもので、特産地の村々が、夏土用を過ぎてから暮れまでは千葉郡のサツマイモ(早出しいも)を、正月から夏土用までは入間郡のサツマイモ(囲いいも)を納め、将軍家では一年中不自由することがないようにする提案を添えたものでした。一年後、この申し出は許可され、特産地の村々は商人の手を経ずして将軍家にサツマイモが納入できるようになったのです。
これは、サツマイモの特産化と独占化をあらわす事件であり、また、もう一つの特産地である千葉郡との競合を防ぐ効果をもひきだしたものとして評価されます。

サツマイモ昔むかし1~6については
発行/三芳町(広報みよしNO.484参照)